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 **    釣り人のエッセイ **

    日本の旨いもの名物は・・・木下健次郎    012.11..29     朝日新聞より
  琵琶湖の鮒・淀の鯉・馬渕の河豚・篠山の猪・柳川の鰻・日田の鮎・北筑の鶏・会津の三五八漬・
大沼の鮒・日間賀島の浅蜊・秋田の雷魚・佐賀のキャラ柿・茂木の枇杷・秋田の魚醤・熊野の薯蕷・
諫早のムツゴロウ・八郎潟のメナダ・越前の寒鱈・駿河の甘鯛・水戸の鮟鱇・金沢の大蟹・吉備の金山鯛・
豊後の城下鰈・備前の海月。
  さてさて、木下健次郎が書き記したこれらの名物が、いまどれほど絶滅したことだろうか。
また、いまだにどれほどが、その美味を保ち続けているだろうか。

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    地球温暖化で魚の旬にズレ (中部水産・神谷友成)
                                 012.02.21付  朝日新聞・魚市場歳時記 より
   魚は、海の中ならどこでも獲れるわけではない。獲れるポイントがあるのだ。
移動距離が少なく、地域に居座るタイプから、「回遊性魚種」と呼ばれ、エサや産卵などの理由で、広大な海域を泳ぎ回って暮らすものまで、それぞれ違った「漁獲場所」があ
  居座るタイプでさえ、改定の地形や海流の変化、海水温度などに影響を受けながらポイントが変わる
地球温暖化により、海水温度の上昇が報告され、世界の漁場は刻一刻と場所を移している。
  これは「旬」のズレをも引き起こしている。将来、秋刀魚は「秋の味覚」から「冬の味覚」と呼ばれるようになるかもしれない。

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   幻のサケ「鮭 児」 (中部水産・神谷友成)
                                                            09.11.21付  朝日新聞・魚市場歳時記 より
  今年の秋サケ漁は、予想と違って、豊漁となった。サケにもブランドがあり、北海道産が圧倒的に多い。日高地区の「銀聖」、雄武地区の「雄宝」、知床地区の「羅皇」、大樹地区の「樹煌士」など。
中でも「鮭児」と呼ばれる特別なサケがいる。生殖機能が未発達なため、全身トロのようなサケで「幻のサケ」の異名を持つ。一万匹に一匹しか獲れないといわれる代物だった。
  市場でも、入荷順番待ちのときもあったが、今年は、ほぼ毎日入荷がある。もう幻ではなくなった感がある。価格も最高時の半額ッほどに落ち込んでいる。
  加えて北海道産の「鮭児」の半額ほどで流通している三陸産の「三陸鮭児」の存在が低価格化に拍車をかけた。もっともこれを「鮭児」と呼ぶかどうか意見が分かれるところだが・・・。

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        あしたは、釣りだ。                     09.04.26

 女房は口もきかない。  今日になるまで言いだせなかった。 その気持ちをわかって欲しい。
それにしても、またあの磯へ・・・。 テレビの天気予報は全チャンネルチェックした。
快晴、波しずか。  けれど俺の心は、荒波のようにうねっている。
   眠れるか・・・眠れない。                               (詠み人知らず)

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        旬の菜滋記・・・めばる賛歌   高橋 治       09.04.25

   めばる煮て こころをわかつ 皿二つ  (古舘 曹人)
めばるは素直で上品な味を持ち、身も柔らかくだれにでも好まれる。
癖がない分、煮て良し焼いて良し、揚げて良しとあらゆる調理法にそってくれる。
しかも無類に姿が美しく、名の示す通り鈴をはったような眼をしている。魚の眼はつぶらなものと相場がきまっているが、めばるはわけても明眸に出来ている。
   旬といふ 魚に筍めばるかな (得能節子 吟)
筍めばるとは筍の出盛りとめばるの季節が重なるところから来ている。折から釣りもののない時期だということもあって、釣れ盛るめばるが珍重されるのだ。
   夕山吹 めばるの煮付けそり返り (永井 東門居)
ただひとつの欠点はよほど大型でないと生食に向かないことである。近縁のかさごは刺身で抜群の魚なのだから不思議に思える。もっとも釣り人から見るとかさごは夜盗さながらに割拠する狩人、めばるは群れた羊同然に行動するという差がある。それが身のしまり具合に出るらしい。
   めばる煮る 磯の香 厨より溢れ (新倉 矢風)
環境で体色を変える、派手な模様をみにまとう、胎生で繁殖するなど、めばるはなかなか個性派に出来上がっている。身の柔らかさを嫌う向きには、梅干の肉を数個甘辛いつゆに入れ、二時間ほど切り身を漬け込んで焼く調理法があるという。

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            韓国産養殖ヒラメが「ウオン安]でお買い得(中部水産・神谷友成)
                                                                        09.03.26 朝日新聞・魚市場歳時記 より
    今年、
愛知県の「コウナゴ」漁は、「遅い、大きい、少ない」 と 全く良いことなしで、あっというまに終わってしまった。市場での販売数量には程遠く、担当者にすれば営業成績に大きな穴が開いた。
    例年通り、
愛知が終われば福島へ、桜前線ならぬ「コウナゴ前線」は北上する。となれば、場所を福島に移して仕切り直しだ。
    相馬の漁師は、しばらくの間、そろってコウナゴ漁に出かける。ましてや瀬戸内、愛知ともに不漁の情報が流れれば、市場の担当者同様に力が入る。
必然的に相馬方面から入荷する活イシガレイや活アイナメなどは「コウナゴ」にスイッチするためお休みになる。水産市場の活魚売り場もさみしい限りに減ってしまう。
    それを補うため、養殖担当は大忙しになる。養殖魚は天候に左右されることなく安定的に出荷できる「すぐれもの」。しかも鮮度は抜群。活きたまま運ぶことはたやすい。養殖マダイ、養殖ヒラメ、養殖カンパチなどがそうだ。
    中でも
ヒラメは、卵から成魚に育て、成魚から卵をとる。ライフサイクルを一貫して人工で作れる地球に優しい、完全養殖のひとつ。おりしも「ウオン安」が重なって、輸入が増大した韓国・済州島産は、過去に経験したことがないほど安くなって超、超お買い得。
品質も高く、野球に続き養殖ヒラメの世界でも「韓国」が注目されている。

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          春一番!!                          09.02.19
                              JOFI愛知  福井 信明

      
<春一番が吹き荒れ海山に大きな影響が出ると予想>

山・渓では・・・
 2月はじめより渓流解禁となり アマゴなどを狙って入山された方もおられるとお思いますが、
先週末の記録的な暖かさで、山の雪が一気に解け川が増水しています。
適度の濁りは喜ばしいところですが、どうなることやら・・・・。
 
九頭竜川では、すでにサクラマスゲットの嬉しい便りがいくつも届きました。
最大寸は61cm、今年は早そうですね・・・。

海では・・・
 先週の大荒れで船で沖へ出ることが出来ずフラストレーションが溜まりっぱなしです。
2週連続で出船できず。
情報的には私が狙っている
ドラゴンサイズの太刀魚、終盤戦にも関わらず少し食いが上向いてきました。
今回の春一番及び雪解け水がどれほど影響をするか不明ですが今月中は釣れて欲しいものです。

 例年ですと、雪代(雪解け水)が伊勢湾に流れ込むと魚の食いがダウンします。
水温の1度低下は魚にとって5度くらい低下するほどに敏感に反応してしまいます。
3月末の桜の開花頃までは小康状態と予想されます。
 この中で面白そうなのは
浜名湖のキビレ・黒鯛のノッコミ
今回の大荒れの天気は魚たちをかなり刺激したのではと予想しています。
今週は、気温がかなり下がりますので、なんともいえませんが、今月末の気温上昇と共に、第1号が上がるのではないかと予想しています。   

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          マダコの塩もみはネットが早い (中部水産・神谷友成)
                                                                        07.10.25 asahi.com・魚市場歳時記 より

  先日、
なごや環境大学でマダコの食感比べが行われた。題して「聞きダコ会」
県内産の「
活(い)け物や生」、そして「県内産解凍品モーリタニアの解凍品」、さらにそれらを原料とした「既製品」など実に6種類を調理し、食べ比べた。
  下ごしらえの手順は以下のごとく。タコの頭をひっくり返し、内臓を除去する。目を取る。
塩もみをしてヌメリをとる。しっかり取らないと、仕上がりが悪い。
最後に
「股切り」と言って1カ所、足の付け根に切り込みを入れる。
これで、ゆでるときれいに丸まる。
しょうゆと酢を加えた、たっぷりのお湯でゆでる。
「少しずつお湯に入れ、丸まるのを確認しながら」がコツ。
ところが
塩もみの方法もひとつではない。
            (1)普通にもむ。(2)ポリ袋に入れてもむ。(3)ネットに入れてもむ。
それぞれにメリット、デメリットがあるが
ネットを使うと処理時間が短縮できる。
  試食の時間には、実に色々な意見がでた。
一番驚かされたのは、試食後の残品をみんなで分け合って持ち帰り、決して捨てないこと。
「食べ残しがでないようにしよう」という姿勢が、まるで衝撃波のように伝わってきた。
主催した伊勢・三河湾流域ネットワークのメンバーには頭が下がる思いだ。
 水産市場では、これから年末に向け常磐方面から「イシダコ」と呼ばれるマダコが多く入荷するのではと期待している。 (中部水産・神谷 友成)
               
http://mytown.asahi.com/aichi/news.php?k_id=24000320710250001                                  ( なごや環境大学・・・ http://www.n-kd.jp/)                                                  

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       「 釣りの秘伝」とは・・について考える     07.03.10
                                 JOFI愛知・会員 田渕 稔

       直木賞作家であり釣りの世界でも高名な高橋治氏の受賞作「秘伝」は、体の悪い二人の釣り名人が巨大イシナギと格闘し、遂に釣りあげたイシナギを放してやるという、釣りの極意と愛情あふれる物語で、随所に釣りの秘伝がちりばめられているが、山背竜二氏(釣りキチの本主宰)との対談では次のように述べておられる。
     「
釣りの秘伝は、もはや精神的な部分にだけしか存在しえなくなった。かって海釣りにおいては、船頭のヤマ立てがあらゆる「釣る技術」のうえで、もっとも重要なもので、この点での絶対的な秘伝はあった。だが「魚探」などの近代兵器の前に、ヤマ立ての秘伝は有効性がなくなった。
釣る技術でも釣具、糸、ハリ、竿などのレベルアップとコマセ釣りの前に、高い技術を使わずとも魚は釣れてくる。私はこのことにより
「秘伝」は「殺戮」にとってかわった、と思います」と。
    たしかに、
釣具の驚異的な発達・高性能化は経験から割り出す秘術をいとも簡単に飛び越えてしまう
また
コマセ釣りはキャリア20年のベテランと初心者を、釣果という点について同格にしてしまう。ひょっとしたら逆転も可能だ。この現実の前に「釣りの秘伝」なるものは、はるかかなたに追いやられ、出る幕もなくなったのだろうかと。
    しかし・・・と、山背竜二氏はその著書「ここまで狂えば秘伝釣り」で述べておられる。
この書は、釣り狂をもって自他共に認める著名人に、筆者がインタビューしてその薀蓄を傾けている内容ですが、当会顧問の金森直治氏も他の追従を許さぬ日本一の釣り本コレクターとして登場しておられます。
それによると、
「釣りに狂うことが、「秘伝」にそのまま結びつくことはないかもしれない。でも一緒に泣いてあげたいほど釣りにのめりこみ、日夜モンモンとするその精神から生まれた秘術とヨミには、そのたどり着いた「極意」といえるものに、形はちがっても、そっと「秘伝」の免許皆伝を贈呈したいのだ。「狂うことは秘伝」、いや「狂うことなくして秘伝なし」。
       最後に「秘伝」を求めてやまない釣り人に高橋治氏からのメッセージを ;
    1 : 釣れないもんと思って釣り場へ出よ。
    2 : 他の人に迷惑かけるな。
    3 : 新しい道具は自殺の道に繋がると思え。
    4 : 磯釣りをやるなら自分の釣り座を責任をもって掃除せよ。
    5 : いかなる種類のコマセも使うな。
    6 : 海(川)にモノを捨てるな。
    7 : 匹数制限、入場料制度を設けよ。
    8 : 食えない魚は釣るな、食べきれない魚は釣るな。
    9 : 自然の怖さを知れ。
  1 0: よけいに釣ったら恥だと思え。
                  (参考文献;山背竜二著、「ここまで狂えば秘伝釣り」二見書房・昭和60.11.15初版)

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    「私たちの先祖は 魚 ?!」

                                                (JOFI愛知会員)田渕 稔      04.2.7

      私たち人間は何処から来たのだろう?。
一般には、「人は猿から別れた」ということはだれでも知っているが、その先はどうなっているのだろう。
猿も含めて、私たち哺乳類の仲間は、何処から枝分かれしたのか。そんな素朴な疑問を抱いて、書物を紐解いてみていたら、どうも、魚の一種が、ある時、水の中から陸に上がって、陸上動物になり、永いながい時間かかって変化(進化?)して、今日私はこの世にいるらしい。
      それでは、もっと遡って、魚は何処から生まれたのだろう。そこまで行き着かなくては。
[魚の先祖はホヤ?]
    太陽の光と水で光合成により地球上に生命が誕生したのは30億年前だが、それ以後の海では6億年前には、既に底生無脊椎動物・(エビ・カ二、ウニ・ナマコ、クラゲ・サンゴなど)が発生していた。それでは魚はどうだろうか?、
      諸説あるが、「ベリルの説」というのが、一番説得力があり、学会でも定着しているようだ。それによると、なんと、魚の先祖は「ホヤ」だそうな。海の船釣りで、根がかりかと思って竿を力いっぱい煽り、リールを巻くと、針に引掛ってあがってくる、あのイボいぼの気味悪い形と橙色した「ホヤ」だ。(東北地方では酢なますで食べ、珍味として養殖もされている)。水底の岩にへばりついて動かない「ホヤ」が植物でなく、動物である事は承知していたが、「ホヤ」が、泳ぎ回る魚の先祖とはとても信じ難いことだが・・と、読み進む。すると、親の「ホヤ」が生む卵から孵った子供(幼生)が、餌が足りなくて変態できず、親になり損ねて、幼生のまま成長し、卵を産み子孫を残す、いわゆる幼形成熟(ネオテニー)を起こした事によるらしい。ネオテニーといえば、よく知られた「陸封アマゴ」がそのひとつだ。
     ホヤの幼生は、他の底生動物の幼生のように繊毛をもって海中を漂う(泳ぐ)のでなく、なぜか、オタマジャクシのような形をしていて、尾を持ち、眼、口、消化管と神経管、更に背骨の原型としての脊索をもっている。(下図参照)
卵から孵った「ホヤ幼生」は、その貧弱な尾でピンピンと2〜3回はねて、親から離れて、自分の定着する岩場まで移動するらしい。
      さて、この幼生たちは、泳ぎ続けて、尾と筋肉を鍛えて成長し、
河口部に集まって、餌を求めて川を遡り、池や湖などに住み着くことになり、その後、長い年月の間に魚の原型になった。
但し、この時期はまだ、クチはあるが顎や歯は無く、ヤツメウナギを想像させる姿であったが、その後、餌を効率的に捕まえる必要性から、鰓の一部を顎や歯に改造して、現在の魚に近づいた。
[肺を持った魚]
     今から3〜4億年前のデボン紀は海・川などには、すでに各種の魚がいたが、旱魃がすさまじく、池などにいた魚たちは、干上がった水底でもがき苦しみ、クチをパクパクして、5000万年の間に、体内に肺のようなものを作ってしまった。こうして生き延びた魚の一部には、やがてさっさと海や川に戻り、肺を浮き袋に変えて適応していったものもいる。(現在のほとんどの魚がその子孫)。
一方、肺をさらに強化して、池などに留まる努力をしたものが、いわゆる肺魚だ。
また、体形を変化して、今の魚のような鰭でなく、干上がった水底を脱出しようと、死に物狂いで、這い回るうちに、鰭を手足のようにしてしまった魚も出来た。(下図参照)(海に戻った現存のシーラカンスは私たちの従弟にあたる?)。
[魚・陸に上がる]
     この5000万年の間に、手足と肺を持った魚が、干潟でもがき這いずり回りながら、すさまじいストレスを乗り越え、生への執着と子孫保存の願望で、ついに、水のあるところを求めて(?)、陸に上がってしまった。そして空気を吸って生きていけるようになってしまったのだ。更に、鰓とおさらばして肺だけで生きてゆくようになると、もう魚とは呼べないで、両生類となる。 (いまの、カエル・サンショウウオ・イモリなどが子孫)。
     さてこの両生類は裸の卵を水中に産むが、そのうち全盛期に落ちこぼれた、か弱い一種が、
より安全で確実に自分達の子孫を残そうと、殻に包まれた卵(羊膜卵)を発明し、より安全な陸上に置くことにしたものが現れた。これが爬虫類の始まりだ。(現存は、カメ・ワニ・トカゲ・ヘビ)。
[爬虫類の誕生と発展]
     爬虫類はその後、大発展を遂げ、種を増やし完全に陸上で暮らせるようになって、勢力を増したが、足を変化させて、4本の足で這ったり歩いたりするものと、2本の後ろ足を強大にして歩き回るものに分かれた。前者はその後進化して哺乳類になってゆき、後者はその行動力から勢力を伸ばし、
体形も巨大化して、いわゆる「恐竜」として、ジュラ紀には1億数千万年もの間地球を支配するまでになった。(映画のゴジラ・ジュラシックパークなどでおなじみ)。
[恐竜時代]
    恐竜の中には肉食・草食、海・川に住み着いたものといろいろあり、皆さんもよくご存知のことですが、爬虫類(恐竜?)の中に羽毛を身に着けたものがいて、空を飛ぶ事が出来る奴がいる。いまの鳥類だ。そう思って鶏の顔や足を見ると、どことなく恐竜に似ているなあ。私が毎朝食べている卵もそういえば「羊膜卵」だ。
     さて、永らく全盛を誇った恐竜たちも、栄枯盛衰ありで、原因は諸説あるようだが、ある日突然消滅してしまった。替わって、ひっそりと暮らして生き残った4足歩行の小さな爬虫類の中から、今のネズミくらいの大きさと形をした、哺乳類が現れる。
[そして哺乳類から人へ]
     哺乳類は今までの動物と全く違った特性を持つ。それは、恒温性と胎生だ。このため、哺乳類は、より安全で安定して子孫を残すことが出来るようになった。
  胎生と言えば、現在のサメやウミタナゴなどは「卵胎生」で知られているが、交尾して体内受精し、卵から孵った幼生を体内である程度まで育て、
自立できるようにしてから外界に送り出すという点で、似ている所もあるが、哺乳類が、これらと根本的に違うことは、同時に、脳を飛躍的に発達させて、初めて知的な(考える・学習する・判断する)動物となったことだ。このことにより、体力でなくて知力で、恐竜なきあとの地球を、今日まで支配することになった。
     哺乳類はその後、世界各地で適応放散を繰り返し種を増やし、そのなかから、強大で攻撃的な肉食獣たちから逃れて、樹上生活をせざるを得ない、小さな、か弱い動物・・・・の出現となる。我々の最も身近な先祖は、弱い”いじめられっ子”だったのだ。でも、その内の一部は度胸がいいのか食べるものが無くてヤケクソだったのか、地上に降りて適応した。(ゴリラ・チンパンジーなどでオナジミ)。この地上に降りたサルの中から我々は生まれた。は道具を発明し、それを手で自在に操り作業をし、ものを作り、残りの2本の足で歩くようになって、猿と決別したといわれる。
         もうこれ以後は、皆さんよくご存知でしょうから、この辺で。・・・・
[私が考えること]
      それにしても、
ホヤ--魚--両生類--爬虫類--哺乳類と入れ替わり・進化の過程をみていると、ある種が、そのそれぞれの生活場所の環境条件に適応して生存・存続してゆくために、繰り返し姿・形を変えてまで必死に生き残っている(適応放散)。
      それをもっと見つめれば、自分から進んでより良い方法を見つけて、変わって言ったというより、新しい種が出てくるのは、いつも体制から追い出されたり、逃げたりの、弱いいじめられか落ちこぼれか、異端児・反逆児か突然変異的異型児だ。
      その種の全盛時に体制派に安住していると、いつかか滅びる。このような苦しい状況にあったものこそが、生き残りのための必死さこそが、次の時代を作っている(進歩させている)ことは注目に値する。革新は常に、何時の時代でも安穏からは生まれないということか。いずれにしても、変える(替わる)には途方もない時間がかかる。
     海・川に残る事を選択した魚たちは保守的で、
種は増やしたけれど(現在2万種)、この地球上の支配者になれず、私たちの餌になったり、遊び相手をしてくれているだけだ。現状に飽き足らず(あるいは万止むを得ず必死で)陸に上がった一部の、革新的な魚のおかげで、我々はこの世に存在するのだ。我々人間も、現状に満足せず、常に革新的でなくてはならないという事かも。
     生命の誕生から30億年、魚が陸にあがって4億年、人が猿から分かれて五百万年に比べれば、私の70年など無きに等しいが、少しでも進化したいものだと、悠久の時間に思いをはせることもたまにはいいものだ。
      さて、現実に戻って、我々釣り人は、大先祖が魚(ホヤ)と知って、いつも「ホヤ」を引っ掛けては忌々しげに海へ放り投げ返し、外道魚を釣っては、船べりにたたきつけていたけど、ご先祖様には大変申し訳ないことでした。あらためて「ホヤ」を想像すると、なんだか有難く可愛く思えてきた。
以後気をつけます。そして、日頃、魚をいじめまくっていることに、罪の意識を感じるけれど、まあ、先祖と出会う事の喜びのほうが大きいとするか。
      せめて、先祖供養のため、釣った魚は大切に扱い、手間暇惜しまず料理して、有難くいただくことにしよう。
(注)
現生脊椎動物の種数;
硬骨魚:20.000・・ほとんどの魚
軟骨魚:   600・・サメ・エイ
両生類: 3.000・・カエル・イモリ・サンショウウオ
爬虫類: 6.000・・カメ・ワニ・トカゲ・ヘビ
鳥   類: 8.600・・すべての鳥
哺乳類: 5.000・・ヒト・サルetcすべてのケモノ
                                                             参考文献;
                                           「魚・陸に上がる」奥野良之助・創元社
                                           「手足を持った魚たち」ジェ二ファ・クラック・講談社

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これが我々の大先祖?・ホヤの幼生
(上)手足を作った魚
     (下)高名なシーラカンス
(上)陸に上がる魚
      (下)魚のような両生類

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                     釣りは楽しい

                                                                 (JOFI愛知会員) 田淵 稔   03.8.15

            釣りに行くと決めたときから、もう
「釣り」は始まっている。   
      何処でなにを釣るかな。お天気(風・波)はどうだろうか。
      仕掛けは、どんなものを揃えたらいいだろうか。

            さて、明日は、待ちに待った
仕立て船の鯛釣りだ。
     でも、天気が悪くて、沖のポイントに出られないときは、どうしよう。
     島陰での、小物釣りになるかも。
     カワハギ・カサゴ・それともサブマリンかごの、サビキかも知れない。
     そんなときの準備もしておかなくては。
           鯛釣りの仕掛けはどうするかな。
     手釣りか竿か。幹糸・ハリスの太さ・長さは。針は何号にしようか。
     流し釣りか、かかり釣りか。釣り座はどこに座らせてくれるのかな。
     それによって、対策を考えなくては。
           お天気が良くて、汐が澄んでいたら、細仕掛けがいいかも。
     でも、大鯛が来たらどうしよう、迷うなー。仕掛けを何組作っても足りないな。
          明日は、大潮の満潮午前6時だから、下げ汐一本で速い、
     昼頃の汐どまりからの返し(潮際)が勝負だ。
     ポイントは、どの漁礁かな。水深は?。
     魚の活性が高いと、エサトリが多いので、捨て糸を長くしなくては。

                あーでもない・こーでもない。

          あれこれ考えていたら、  
  もう寝られない。

     でも、はやく寝ないと、明日酔っ払うかも。
     釣友に無様な格好は見せられないし、絶対に釣り負けたくないんだ。
     せめて、
大鯛と綱引きしている自分の姿をイメージしながら、
     目だけは瞑っていることにするか。

                   
 あーぁ、夜は長い。

           翌朝夜明け前、目覚ましのお世話にもならず、起きだして、
     真っ暗のなか、友の車に乗り込む。
     空を仰いでは雲の流れを見、道端の草木の揺れや、
     煙突の煙の角度を見ては、一喜一憂しながら海に向かう。

       船の上での、夢のような時間は、瞬く間に過ぎて、
     ついさっき通った道を、もう逆戻りしているではないか。

                  
なんて時間は不公平に、釣りの時だけ短いんだ。

           釣り」から帰ってからも大変だ。
     着替えもそこそこに、台所に立って包丁をとりだし、魚を捌く。
     あの家・この人に、夕食に間に合うように届けなくてはと、心急ぐ。
     皆の喜ぶ姿を見たいし、旨かったの一言が聞きたいから。
     でも、本当は
「どうだ旨いだろう、参ったか」と威張りたいのだ。

           やっと、一風呂浴びて、我が家の食卓に向かって、
     今日の釣りが終わる。

               
  さて、今度はいつ何処で、なにを釣ろうかな。
   

     と考えながら、夢の中で、今日の釣りを反芻しているうちに、深い眠りにつく。

                                 03.8.15    田渕 稔 (記)
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* 人生の時間のうちで釣に費やす時間は別にある。   アイザック・ウオルトン
* 魚がなんにも釣れない日は、
    魚が私に考える時間をくれたと思えばよい。      アーネスト・ヘミングウエイ
               ___________

{愚作}・・稔
* 釣に行くと決めた時に始まり、胃袋に魚を収めて終わる。
* 嘘を笑って許しあえるのが釣り仲間である。
* 釣りの極意は自分が魚になることである。

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           釣り人の病気とは??
                                   06.06.13 JOFI愛知 田渕 稔

  お魚博士・末広恭雄先生が数多い名著のうち二見書房から昭和51年7月10日初版発行の「釣ろう・釣る・釣れた」のはしがきに我々釣りキチの心理について、誠に愉快なことが書いてありましたのでご紹介します。
  博士が数十年前に、アメリカ・フロリダ半島の先端にあるマイアミ海岸を訪れた時のことで、そこにはたくさんの遊漁トローリング船が係留されている埠頭の脇に釣具店があり、その店先に立て札が立っていて、それには次のような事が書いてあったそうです。

          [WARNING]  
          「FISHING POX」 
   very contagious to adult mailes ・・・・・・
Symptoms : Continual complaint as to need for fresh air,sunshine and relaxation . Patient has blank expression,sometimes deaf to wife and kids .Has no taste for work of any kind . Freqent checking of tackle catalogues . Hangs out in Sporting Goods Stores longer than usual. Secret night phone calls to fishing pals .
Mummbles to self .Lies to everyone . NO KNOWN CURE
Treatment : Mediration is useless.Discase is not fatal .Victim should go fishing as often as possible.
<著者訳>
         [警  告]
            
「釣 熱 病」 !
      成年男子に伝染力強し!
症  状 ::  患者は、新鮮な空気と日光と休養が必要だと絶えずぼやく。また放心状態を呈し、時によ         ると妻子の言葉も耳に入らない。どんな仕事にも気乗りしない。しばしば釣道具のカタログ         に目を通す。釣具店で通常より長く時を過ごす。夜間、釣友達にひそひそ電話をかける。          ぶつぶつと独言をいう。皆にウソをつく。治療法なし。
処    置 :: 薬をのませても効かない。但し病気は命取りではない。患者はできる限り頻繁に釣りにゆ
         くべきである。

このように世の東西を問わず、時代を超えて、釣りキチなる種族は誰でも一緒だなあという思いですね。

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                     釣りの楽しみ (船釣り編)
                             JOFI愛知・会員 田渕 稔

   海の船釣りのいいところは、仕立て船でも乗合船でも、船頭さんが魚探を見たり、自分の長年の勘と経験・情報から、その日その時の(季節・日並・潮時など)状況によって釣り場所を決めるので、釣り人はその場所に連れて行ってもらい、糸を垂れるだけということで、魚が居ることは分かっていて、釣れて当たり前ということにある。(ボート・ヨットなどの手前船頭釣りは別だが)。

 その他の釣り(磯・波と・投げなど)は攻めの釣りで、自分で魚の居そうなポイントを探しまわり、ここは必ずいそうだと思うところに餌を投じて、思った通りに魚がかかった時の喜びがある。これこそが魚釣りの楽しみの基本だと思うのだが、その点では、船釣りはこのような釣りの基本的な楽しみから少し外れて、釣果の量、寸の大小、種類などを競い楽しむところにあるように思う。

  この範囲内で船釣りを楽しむためには、どうしても船頭の腕に頼ることになる。船頭が場所を決めて「さあーやってよー」と言って仕掛けを下ろすわけだが、ある程度船頭はその時々のタナや釣り方のアドバイスをしてくれる。然し、そのとおりにして仕掛けを入れても、ちっとも誰も釣れない、または自分だけ釣れない時は、船頭の指示をはずして(信用しないで)自分なりにあれこれ考えてやってみることも必要。(これも楽しみ方のひとつかも)。
  すくなくとも、仕掛けをおろして、魚からの魚信をひたすらじっと待っているだけで、 餌の点検もしないでは、エサ取りの多い場合などは、1〜2分ですべての針のエサがなくなってしまうので、まず何も釣れない。

   沖釣りで撒き餌をするときは、撒き餌カゴを振ってから、魚の当たりがなくても、こまめに引き上げ、詰め替えと付けエサの点検をしよう。また、自分では狙ったタナへ仕掛けを入れているつもりでも、撒き餌の流れに仕掛けが同調していないと釣れない。
  たとえば、天秤吹流し仕掛けの場合は、最近は10m以上の場合もあるので、指示タナ(魚のいる位置)が底から10mとした時、カゴ着床後10m巻上げ、撒き餌を出してアタリを待っても、底汐の流れによって10m先の撒き餌の位置と付けエサの位置がいつも同じにはならない。強い流れの場合はやや水平に流れるだろうし、汐がゆるい場合は斜め下に落ちる。このため指示タナは頭に入れておく必要はあるが、そのほかの条件を考えて、撒き餌と付けエサの位置関係をイメージしながら、リールを操作する必要がある。

  汐があまり流れず、仕掛けが真っ直ぐ下に降りる時は、オモリを極めて軽くするか、 極端には、オモリなしで、撒き餌をつめたカゴの重みだけでやってみると、仕掛けが降りるのに時間がかかり、手返しは悪いが、面白いかも。オモリをはずして落とすと、カゴが汐に流されて、詰めたエサが出るにしたがって、仕掛け全体が浮くのでエサ取り対策になり、道糸を伸ばせば、付けエサのポイントを遠くに送り込むことも出来る。

   仕立て船のエビ撒きウタセマダイ(マタカ)釣りでも同様で、竿釣りでも手釣りでも、船頭が撒くエビの流れに自分の仕掛けを沿わせ、どうしたら付けエビをふわふわと自然に流れるように出来るかがポイントになる。魚は逃げる(動く)ものに敏感に反応し、追いかけるし、エサが自然の状態であれば、警戒心なしで食いついてくる。

  汐がゆるい場合、軽いオモリで下ろしても、エサ取りが上のほうまで出てきて、釣りにならないことが多いので、捨て糸をどんどん思い切り長くしていって、エサ取りが食わなくなるまで上層を狙い、ふわふわ状態を演出してみるのもよい。鯛などは水深にかかわらず、どんなに上でもエサを追って来るし、上層ほど大鯛が釣れることが多い。

   アジ・メバル・イサキやキス・ハゼなど数を釣って楽しむ釣りの場合は、ピクピクと一匹かかっても、喜んですぐリールを一気に巻かず、ゆっくりゆっくりと巻いて、二匹・三匹と追い食いするのを待って釣るのが基本。折角かかった魚にモタモタしていて、針はずれで逃げられては大変だと、焦らないこと。
特に群れが大きく、皆が一斉に当った時などは、他の人が巻き上げても、じっと我慢して、皆が魚を取り込むのを待って、最後にようやく巻き始めるくらいが良い。
  一般に魚は、一匹が針にかかって暴れると、他の魚はエサを独り占めさせまいとして追いかけてきて、パニックになり、次々に針にかかるようだ。

鯛などは一匹が針にかかると、魚体をラキラさせて暴れまくるので、それを見て、遠くからでも他の魚があわててとんで来る。こいつが次に食いつくのを、いまか今かと心臓をドキドキさせながら、気持ちを集中して待つのも楽しみのひとつだ。(もちろん大鯛が最初にかかった場合は別、じっと我慢していると糸を切られたり、針を伸ばされたりして逃げられてはお話にならない!)。

   最後に、趣味(遊び)として釣りを楽しむ私達釣り人は、ただ単にたくさんの魚を釣ることだけに喜びを感じるのではなく、魚を釣っている間だけでなく、その前後の時間にも楽しみを持ちたいものだ。
釣りは行こうと決めたときから釣りはすでに始まっている。
どこで何を狙って釣るのか。そのための仕掛けはどんなのがいいか、前日までにあれこれ考えて作っておかなくては。足りない小物はないか。針は、予備糸は。竿・リールはどれにしようか。あらゆる当日の条件を考えて準備しなくては、船の上でシマッタと言って釣友や船頭に借りるのは恥だ。
(荷物はドンドン増える!)。
    そして当日の船の上では頭をフル回転させて、あれこれ考え試してみる。
自分で考えた釣り方や仕掛けが当った時はこれに勝る喜びはない。
つまり、自分が魚になったつもりで、魚だったらどうだったら嬉しいかなと、あれこれ仕掛けや釣り方を考えるところに究極的な楽しみがある。

  釣りが終わってからも、獲物を出来るだけ早く、そして出来るだけ生きのいい状態を保って、家に持ち帰り、すぐ料理に取り掛かって、あれこれメニューを考えるのも楽しみのひとつ。そしてご近所や日頃お世話になっている人に、おすそ分けをして、「有難う、美味しかった」の一言がうれしい。
   さあ今度はいつ、どこへ何を釣りに行こうかと考えながら、その日の釣りは終わる。

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             キンメと水銀問題・・環境保護・安全に直結 (中部水産・神谷友成)

                                                                        06.2.16 朝日新聞・魚市場歳時記 より

  一昔前なら「関東の食材」だったキンメも、いま旬をむかえ脂の乗りも最高。どの産地もハズレは無い。200〜700メートルの深海に住んでいるが、ほかの深海魚のように、いきなり釣り上げられても、水圧の変化で目が飛び出たり、浮袋が口から飛び出したりすることが無い不思議な魚だ。
  メチル水銀の含有率が発表された時にはバッシングを受けたが、裏を返せば、妊婦でも週2回以下なら安全が保障されたわけだ。 「安心・安全」は魚介類だけに限らず、消費者にとって最も関心がある事柄。然し、消費者自らは何もせず、生産者や流通業者、販売店だけに頼って、権利ばかりを主張してはいないか?。
  漁船はひとたび海難事故となれば、漁を休んで捜索に協力する。もちろん無償だ。05年の水産白書によれば、日本の漁船は約21万隻。これは海岸線170メートルに1隻という数になる。我々が仕事を休んでまでするボランティアってあるだろうか?。
  魚介類は天然物を食べる数少ない食材。環境問題に密接な関係があるのは言うまでも無い。空き缶のポイ捨てから始まってゴミの削減やリサイクルなどは、我々にも協力出来る「安全、安心」だ。
答えはひとつではない。おいしい、安心できる魚介類を作るのは、天然、養殖を問わず、我々にも責任の一端があるのだ。

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                アイゴ・・この憎くて可愛い魚                         05.10.28
                                                                   JOFI愛知会員 田渕 稔

    昨日、伊勢湾・西度合のトイ漁礁に大鯛を狙って、仕立て船でいつもの仲間と出かけました。
大鯛は顔を見せてくれませんでしたが、お天気にも恵まれ、食べごろのサイズがそこそこ釣れました。
    そこまではよかったのですが、この時期に外道として時々釣れてくるアイゴがやたらと食いついてきました。この魚の痛いご挨拶を受けたことのある釣り人は、もう2度と顔を見たくないあの魚です。
   船頭は何度も、それこそ痛い目にあっているらしく、私達が釣りあげると「触るなー!」と怒鳴って、用具を持って飛んできて、体をよけながら、恐る恐る、しかし上手に海にドボンとお返ししてくれます。
   でも私は、この魚が大好きで、煮魚がとても美味しく、持って帰りたいのですが、「欲しいよー」と言う間もなく、次から次えとドボンしてしまうのです。
   今年はまだ水温が20度を超えており、例年になく魚体も大きく30センチちかくあって、とても旨そうなので、残念でなりません。さりながら、以前に一撃パンチを喰らって、死ぬ思いをしてからは、船頭さんにお世話にならず、自分で取り込み、危ない鰭を無事切り取る自信がありません。
   このアイゴは幼魚時期には沿岸部に群れていて、養殖海苔をあの可愛いおちょぼ口でついばんでしまうため海苔漁業者からは天敵として嫌われているとか。海苔だけでなく昆布系のサガラメとかアラメやホンダワラなどの海藻を食べまくり、磯焼けの主犯のように言われているらしい。
   この海藻類は伊勢湾では湾口部の岩礁地帯に繁茂していて、ウニ・アワビの餌であり、稚魚の隠れ家として重要な役割がある。
   「7年ぐらい前から減り始め、今では内海海水浴場南から豊浜の一部にしか残っていない」、「海藻は光合成で酸素を作り、魚介類の餌や産卵場所、稚魚の棲家として磯には欠かせない」(朝日新聞)。
   アイゴは昔からいて、水温の高いうちに活動し、冬場はいないと思っていたが、近年の高水温で居ついて大きく育ち、逆に冷たい水に強い昆布系の海藻は弱り、これをアイゴが食べるという弱り目に祟り目みたいな事が起きているのではないか。このように磯焼けの犯人にされ、海苔業者から目の敵にされ、釣り人からは刺客のように恐れられるアイゴだが、あの可愛いまん丸の黒目とォチョボクチが私には何となく可哀そうで憎めないのです。

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             魚のオス・メス どうやって見分けるの?(中部水産・神谷友成)
                                                                        05.9.15 朝日新聞・魚市場歳時記 より

     9月に入り、例年どおり全国一斉に底引き網漁が解禁になった。入荷量、魚種ともに増え水産市場は一段とにぎやかになった。
     「この魚、オスメスをどうやって見分けるの?」。どこからか聞こえてきた声に振り向くと、首からデジカメ、手にはノート、足元は赤い長靴姿の小学生。眠たい目をこすりながらお父さんと一緒に仕入れに来たのだろうか? カレイの仲間のように卵が透けて見えるものは色でわかる。サケやシイラなどは顔の形で、カワハギやシシャモなどはヒレの形で、メバルやカサゴには交接器がある。スッポンはシッポの長さ。
    「オスメス、ペアで産卵をする魚介類は外見で見分けがつかないと、お互い相手が見つけられない。群れで行動して卵を産む魚は、相手を見つける必要が無いので外見だけでは見分けがつかない」と言うのが定説。
     アジ、サバ、イワシの類などは群れで産卵するので外見だけでは区別できない。さらに加えると、甘エビ(ホッコクアカエビ)は生まれたときはすべてオス。大きくなるとみんなメスになる。クロダイはオスから同体期を経てメスに、レンコダイ(キダイ)はその逆。マシジミやホヤは雌雄同体など、自然界には不思議が多い。素朴な質問だったが、実は「奥の深い超難問」なのだ。

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                 カンパチ・・・身の歯ごたえ最上級  (中部水産・神谷 友成)
                                                                        05.8.25・朝日新聞・魚市場歳時記 より

  水産物ほど呼び名が多いものはない。標準和名、地方名、市場名、学名など。カンパチのことを名古屋の水産市場では「シオ」というのはなぜだろう?。
  カンパチの天然物の旬は夏から秋にかけて。大きな物は50キロを越えるが3キロ物が一番うまい。関東では「カンパチ」、関西では「アカバナ」と呼ばれる。刺し身が定番で、おつくりやサクで販売されるため、姿のまま「盤台」に並ぶことは少ない。ブリやヒラマサと同じブリ属。素人目には区別できないほどよく似ているが、食べてみると、身の歯ごたえは一番良い。
  最近年中お目にかかれるのは養殖技術の進歩のおかげ。昔は入荷も少なく高級魚だった。養殖ものに慣れすぎて、天然物を食べるとどこか物足りなさを感じる人が多いという弊害も。
   その昔、関東では、
今の時期、黒潮に乗ってやって来る幼魚を「汐っ子」と呼んで季節を楽しんだ。幼魚が汐の子だから親は「汐」というわけで、いつの間にか「シオ」と呼ばれるようになったのだ・・とは、水産市場流解釈。そんな経緯や、天然魚の味ですら今ではすっかり忘れてしまって「シオ」の呼び名だけが生き残っている。

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  幻の名品・・オリンピックリール/93

                                                                 JOFI愛知・会員 今泉 孝樹  (05.8.15)

     最近は、「懐かしさ」を売る商売があるらしい。なんと、”給食レストラン”というものもあるそうだ。
アルマイト製の食器にコッペパン、ソフト麺、カレーシチューに、冷凍みかん、はたまた脱脂粉乳まであるという。僕なんかは、あの生暖かく、チョット冷めると表面に白い膜を張る脱脂粉乳は大嫌いで、如何にして友達に飲ませようかと苦労したものである。それを、脱脂粉乳を知らない若者が、”懐かし〜い”っといいながら、楽しげに、に食べに行くという。
     先日、フリーマーケットで、今はなきオリンピック釣具のスピニングリール/93を見つけた。
釣具屋のショーケースの中に、いつも置かれていた、あの憧れのリールである。
子供の僕には、到底手の届かない、雲の上のものであったが、ほしくてほしくて、 ショーケースにおでこを貼り付け、いつまでも見ていたものである。
     それから、数十年、頭の中から消えていた、このリールが目の前にあった。
錆が浮き、塗装は剥がれ、輝きはないけれども、僕の目には、まぎれもなくあのころの、93で あった。
迷わず、購入しハンドルを回してみた。ガリガリというラチェット音と共に、ローターが回転した。
     うれしかった。
     今のリールの様な、繊細な音はしない。回転も滑らかではない。でかいし、重い。
格好も無骨である。でも、僕の93になった。
     分解し、整備し、僕の魂を入れ込んだ。ラインローラーは結局回らないけれど、僕の93だ。
懐かしい過去が蘇り、子供の頃の僕が蘇る。
こいつと釣りに行けば、いつでも、僕は子供に戻れる。あの懐かしい時代へいつでも戻れる。グラスの投げ竿にセットした93はあの頃と同じ。
あの頃に使ったことは無いけれど、あの頃と同じ。
懐かしさがそこにある。安らぎを感じる何かがある。給食レストランも同じなのであろう。
     脱脂粉乳を少し飲みたくなった僕だった。

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人生の達人?

                                                                  JOFI東海・会長 松岡 隆春 (05.7.22)

                      
[ 鮟鱇の 世に残すもの 一つなし ]

    リハビリ中の愛犬との散歩から帰り、応接間兼道具部屋で朝刊を開いた。
真っ先に目に飛び込んで来たのがこの句。

   鮟鱇は、鯨と共に内臓から骨まで残すところ無く人間が食べ・利用する。 (ちなみに「鮟鱇」は冬の季語)

   この句の作者は「自分も、この世を去るときには(残った人が苦労するようなことは)何も残さず逝きたい」との心境を詠まれているような気がする。  相当な人生の手練であろう…。
  私も,多少俳句をたしなみ、常々こういった深みのある句を作ろうと努力しているのだが、修行が 足りないとみえて未だに作れていない。部屋には、クーラー音だけが鳴り響き、今日も静かな朝 を迎えている。
 “
よきかな、よきかな”である。しかし『楽しい釣りを何時までも!』達成に向け、やらなければな らないことは山ほどある。さあ、今日も頑張るぞ!

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 釣りの格言?

                  [魚が喰い立っている時は手を使え、喰わないときは頭を使え]。

      高名な釣り人で直木賞作家の高橋治氏が受賞作「秘伝」のなかで、釣り人の心理を見事に表現しているくだりがある。
     
 「魚の喰いが立たない釣りほど退屈に見えるものはない。だが、それは傍目からのことであって、
釣り人にとっては、釣れない時こそ忙しいのである。
魚が絶え間なしに喰いついて来るときを”入れ喰い”というが、そんな時には人間を機械に置き換えても魚は釣れる。釣り人はただ手を動かしているにすぎない。しかし、喰わないとなると、考えなければならないことが次々に出てくる。仕掛け、餌、風、潮、場所、魚の心境、それらが組み合わさった無限の変化と、一瞬も頭の休まる時がない。」
(高橋治著・「秘伝」より)。
      まさに、のんびり構えて竿先を見つめ、暇をもてあましている様子の釣り人だが、なかなかどうして、本人はとても忙しいのだ。
      今か今かと魚信を待ち、ちっとも釣れないと「どうして釣れないんだろう?」。
まして隣の人がバタバタと釣ったりしたら、もう頭の中は大パニック、目の前に星がピカピカ。
チラチラと隣りを横目で盗み見ながら「餌か仕掛けが違うのかな、それとも釣り座が悪いのかな、送りや誘いが私のやり方とすこし違うようだけどそのせいかな・・・どうしてドウシテ?」と、もはや冷静な判断を失ってしまう。タナはどのくらいできましたか?などと咽喉先まで出ているが、グッと飲み込み意地でも聞かない。
      一人で釣っているときは、それでもいくらかじっくり考えてみる余裕がある。
「今日は天気が良いし、潮も澄んでいるので陽が差し込むから細仕掛けで、汐行きが早いからオモリはこのくらいにすればちょうどポイントに入るはずだ、魚の活性が高いと餌獲りをかわして、すこし上まで誘ってみよう。などなど、アーでもないコーでもないと考えて、やってみる事は一杯ある。
チットモ釣れなくても、とてものんびりお弁当など広げている余裕はないのだ。
      そうしてやっと来てくれた一匹の魚は、私にとって大事な大事な宝物。一所懸命考えた私への海からのご褒美なのだ。
      釣りの原点は、状況に対応してあれこれ考え、それが当たった喜びにあると思う。
      これが「釣れた」と「釣った」の違いかな。
                                                                05.5.27      JOFI愛知・田渕 稔

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  「釣りは愉しい」・・・津軽采女のことばより

      わが国最古にして最高の釣り本といわれる「河羨録」のなかで、著者の津軽・黒石藩主三世津軽采女がその序で自分の釣りについて、次のように述べている。
     
 「私は一生、名誉や利欲にとらわれず、物事に執着せず、無心でありたいと思っている。
しかし、そうはいっても、世間は煩わしい。そこで、私はたびたびこの世間の煩わしさをさけて釣りを愉しむ。いつくしみ、あわれみの心を持つ者は静かに生き、智恵のある者は釣りを愉しむのだ。
soどうして、こんな愉しみが他にあろうか、けっしてほかにはない」

     津軽采女は忠臣蔵の吉良上野介の娘・阿久里を妻とし、討ち入りの元禄15年は35歳の若さであったが、それ以来、世を避けて釣りの世界に入り込み、50歳のときにこの本を著したという。
今から260年も前の釣り人の心と現代の我々と、釣りを楽しみとする気持ちは時代を超えて全く変わりなく、普遍的なものではないだろうか。
                                        (注:原文は漢字で大意は恒文社刊・丸山信著・釣りの文化誌より引用)

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 「釣り師」・「つり人」 と「釣士」

      詩人で釣り人としても著名な緒方昇氏が、著書「つりの道」(釣魚名著シリーズ・二見書房刊)のなかで、釣りを愛する人々に次のように語りかけている。
      
「釣士と書いて、ちょうしと読む。つまり、つりのサムライのことだ。ぼくが発明したコトバではない。
えらい作家で、アユつりの名人でもある瀧井孝作先生が、よくお使いになるコトバなのだが、
{釣り師} といえば、よごれた古タオルを首に巻いて、鼻水をすすりあげたりしている、ショボクレたつり人を想像するが、{釣士} といえば、サムライだから、少年剣士にような、サッソウとしたすがたを思いうかべるのである。だから、ぼくは、つりをする人びとを三つにわけて、よんでいる。最上の人を {釣士}、一般ふつうの人びとを {つり人}、最低のクラスを {釣り師} というのだ・・・」。

     現代の釣り愛好家特に若いフィッシャーマンたちは、首に古タオルどころか、繁華街をさっそうと歩けるほどフアッショナブル&カラフルで,ルアーロッドなどを手に、一見少年剣士風だが、さて、瀧井先生の言わんとする心の中の問題についてはどうだろうか。真の {釣士} になるには道は遠く、磨くべきことが多いような気がする。

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三重・和歌山産ワラサ・・今年は節句にお薦め  (中部水産・神谷 友成)
                                             05.4.28.朝日新聞・魚市場歳時記 より

          今回は、こどもの日(端午の節句)にちなんだ出世魚の話。
       所によって呼び名が変わるが、大きい順にブリ(10キロ超)、ワラサ(4〜5キロまで)、
       ハマチ(2〜3キロ)、ツバス(1キロ前後)、アブコ(それ以下)が、この地方では一般的。
          ガイドラインによれば「成長段階や季節に応じた名称がある魚介類については、
       その名称が一般的に理解されるものである場合には記載できる」とある。
       今、7キロ〜4キロ物、「ワラサ」が紀州で豊漁だ。味も良くお値段も手ごろで人気がある。
           しかし、魚通なら「今ごろ?」と思うはず。
       たしかに例年この時期は、脂が抜け身色も赤くシーズンオフ。旬の食材とは言いがたい。
       ところが今年は海の中も異常気象。なぜか脂たっぷりまるでトロだ。
       季節はずれだが、味をとっても縁起をかついでも、節句のごちそうにもってこい。
           サイズの良い一本釣り「ケンケンカツオ」が海流の蛇行が原因で釣れない代わりのお恵みだろうか。
       市場日誌に  「05年4月、脂ののったワラサが紀州で大漁続き。過去に経験のない出来事。
       すしや刺し身などの流行食材になっている。
        [季節を忘れ、味に酔うのもまた流行の味]」って記録しておこうか。
       
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 ボラの卵  (中部水産・神谷 友成)
                                             04.10.14.朝日新聞・魚市場歳時記 より

           台風頻発・・三重産に影響
       
 「また台風が来た!」。
      岡山県では出荷を目前に控えた養殖カキのイカダを波の被害を受けにくい島陰に非難させた。
      水産市場の入荷量は自然環境に最も左右される。今年上陸した台風の数は過去最多。
       しかも日本海へ抜けるものが多かった。
       10メートル近い波は、海底の地形を変えるほど威力がある」とベテラン漁師は言う。
       なるほど漁場のポイントが変わり魚の群れが散った。
       それは山陰産アカガレイなど底物の水揚げが減ったことで裏付けられる。
       記憶に新しい
台風21号。三重県では大雨となった。山では土石流。川は氾濫し家屋は床上浸水。
      湾には大量の雨水が流れ込んで、大量の養殖魚が死んだ。
      海辺の加工場では高潮や強風で被害が出た。
      折りしも今の時期はボラが卵を持つ。日本三大珍味のひとつ
「カラスミ」の原料だ。
      本来なら
漁師総出でボラ漁に行くはずだが台風の跡片付けに追われ、出漁率が低かった。
      そこにまた、台風が来た。まさに「踏んだりけったり」だ。
      そんなわけで水産市場では三重県産良質のボラの卵の入荷が、例年になく少ない。
      卵というのは実に厄介な物で、早すぎると未熟、時を逃がすと腹から出て空っぽ。タイミングが難しい。
      ジャストオンタイムで取らなければ良い「カラスミ」を作れない。
      漁期が短いだけに、関係者は焦りの色を隠せない。
       
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 梅雨の旬魚  (中部水産・神谷 友成)
                                             04.6.17朝日新聞・魚市場歳時記 より

     
   「梅雨イサキ」「梅雨イワシ」梅雨アナゴ
       こんな呼び名を持つ旬魚や、アユ・ニジマスなどの川魚が食べごろになった。
       水産市場も梅雨の品ぞろえになった。市場の梅雨モードは世間と同じで一ヶ月前後と短い。
       大相撲名古屋場所が終わると、夏モードに変わる。
       この「夏」も「秋・冬モード」と違って非常に短い。旬の先取り品は値が張る。
       一昔前なら、お盆前に初入荷する
秋の代名詞「サンマ」も、ここ数年入荷時期が早くなっている。
       今年は7月10日に刺し網、20日には棒受け網船(5トン未満)が出漁する事になっている。
       早ければ
7月13日には、新物サンマの初市になりそうだ。(昨年は10日だった)。
        こうなると、7月の第3週には、秋をイメージしたメニューを組み立てる板場さんも増えてくるにちがいない。
       折りしもそれに合わせたかのように、海外からマツタケなどが市場に押し寄せ、「食の秋」を感じさせる。
       真夏のイメージ
「土用の丑」は、今年は7月21日
       魚屋の盤台には
ウナギとサンマが一緒に並び、真夏と秋が重なり合う
       市場の季節は、流行や季節に敏感な女性の感覚よりも、更に一足早く訪れることになる。
       一番のご馳走となると、素材の良しあしや料理方法だけでなく、食を楽しむ「演出」という時代。
       あなたは旬をとりますか?初物をとりますか?。
       
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         中スポと私
(中日スポーツ発刊50周年に寄せて)

                                             (JOFI東海・愛知顧問)金森 直治  04.2.27

              
    春灯し 会心の釣り セピアいろ       直治 (中日釣りペン)

        昭和29年、釣りザオはまだ竹の時代。
      この地方の釣りはフナ、シラハエ、イナ(ボラ)と海ではハゼ、ズイ(クロダイ)など、
     身近で素朴な遊びだったのである。
      ところがこのあと10年、グラスザオやスピニングリールが登場し、マイカーが普及して、
      一気に釣りブームとなり行動半径が広がった。
      当時、中日新聞社の要職にあった故三浦秀文氏は釣り好きで聞こえた人だった。三
      浦氏は、中スポの記者に、今は亡き砂場隆吉さんを起用された。
      砂場さんは中部日本の釣りの生き字引といわれた名物記者で、
      寄せられる情報に対する目は厳しかった。
      中スポの釣り欄はこうして生まれ、釣り人の信頼を集めてきたのである。
      最初の寄稿から40数年、私のスクラップもすっかり変色してしまったが、
      懐かしい人の名も現れ、あの磯この浜の釣りがありありと目に浮かぶ。
      人生の友・中スポ釣り欄に感謝し、ますますのフレッシュな充実を祈りたい。
                                                              (04.2.25付 中スポ特集記事釣り欄より)
       
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  私たちの先祖は魚・・・・・先祖探しの旅

                                                              (JOFI愛知) 田渕 稔  04,2,7

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太公望と私・・・・・・「太公望と潜龍時代」   
                                            「太公望(易経『乾為天』潜龍説明文より)」

                                                       (JOFI愛知) 松岡 隆春   03.8.25

               先日、「インターネット」を見ていたところ、
      釣り人の別称である「
太公望」についての記述があり、非常に興味深く読みました。
             「
太公望」については、易経の卦(け)が、潜龍→見龍→飛龍→亢龍を含め、
      全部で6段階の変遷過程があり、“潜龍”の説明文中に紹介されております。

   殷(商王朝)の王を倒した
周王朝の軍師「太公望(呂尚)」は、
        70才半ばにして釣りの最中に、
周の文王に見出された。
           一説によると、呂尚は文王の招きを何度か断り、80才の時にようやく受け入れたという。
   知人・聖人といわれる「
太公望」も、それまでの人生は失敗ばかりであった。
   軍師になってからも、負け戦が続き、敗軍を連れて帰ってくると、
       城門で待っていた妻に唾を吐きかけられたという。
           酒池肉林を繰り返していた暴君・紂王を倒し、周王朝を擁立するのは、
       文王の死後、武王の時代で、「
太公望」は90才であった。
              
 釣りを楽しむ人を「太公望」と呼ぶ。
       不遇をたのしむことができた「
太公望」は、とてつもなく長い“潜龍時代”を過ごしたが、
       
 『大器晩成』の代表格である。
  
            以上のように、あの「
太公望」でさえ、不遇の時代が長かったとのことである。
      凡人の私と比較するのは、全くおこがましいが、
       彼と私の違いは、“潜龍時代” の過ごし方の違いにあるのではなかろうか?。
    私は、太公望の90才まで達するには、まだまだ30年近くある。
       彼にあやかって、
       「釣り」でこれからの30年を、せいぜい楽しみたいと思っているのだが…。

                                                       松岡 隆春    (記)
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                    釣りは楽しい

                                     (JOFI愛知会員) 田淵 稔   03.8.15

            釣りに行くと決めたときから、もう
「釣り」は始まっている。   
      何処でなにを釣るかな。お天気(風・波)はどうだろうか。
      仕掛けは、どんなものを揃えたらいいだろうか。

            さて、明日は、待ちに待った
仕立て船の鯛釣りだ。
     でも、天気が悪くて、沖のポイントに出られないときは、どうしよう。
     島陰での、小物釣りになるかも。
     カワハギ・カサゴ・それともサブマリンかごの、サビキかも知れない。
     そんなときの準備もしておかなくては。
           鯛釣りの仕掛けはどうするかな。
     手釣りか竿か。幹糸・ハリスの太さ・長さは。針は何号にしようか。
     流し釣りか、かかり釣りか。釣り座はどこに座らせてくれるのかな。
     それによって、対策を考えなくては。
           お天気が良くて、汐が澄んでいたら、細仕掛けがいいかも。
     でも、大鯛が来たらどうしよう、迷うなー。仕掛けを何組作っても足りないな。
          明日は、大潮の満潮午前6時だから、下げ汐一本で速い、
     昼頃の汐どまりからの返し(潮際)が勝負だ。
     ポイントは、どの漁礁かな。水深は?。
     魚の活性が高いと、エサトリが多いので、捨て糸を長くしなくては。

                あーでもない・こーでもない。

          あれこれ考えていたら、  
  もう寝られない。

     でも、はやく寝ないと、明日酔っ払うかも。
     釣友に無様な格好は見せられないし、絶対に釣り負けたくないんだ。
     せめて、
大鯛と綱引きしている自分の姿をイメージしながら、
     目だけは瞑っていることにするか。

                   
 あーぁ、夜は長い。

           翌朝夜明け前、目覚ましのお世話にもならず、起きだして、
     真っ暗のなか、友の車に乗り込む。
     空を仰いでは雲の流れを見、道端の草木の揺れや、
     煙突の煙の角度を見ては、一喜一憂しながら海に向かう。

       船の上での、夢のような時間は、瞬く間に過ぎて、
     ついさっき通った道を、もう逆戻りしているではないか。

                  
なんて時間は不公平に、釣りの時だけ短いんだ。

           釣り」から帰ってからも大変だ。
     着替えもそこそこに、台所に立って包丁をとりだし、魚を捌く。
     あの家・この人に、夕食に間に合うように届けなくてはと、心急ぐ。
     皆の喜ぶ姿を見たいし、旨かったの一言が聞きたいから。
     でも、本当は
「どうだ旨いだろう、参ったか」と威張りたいのだ。

           やっと、一風呂浴びて、我が家の食卓に向かって、
     今日の釣りが終わる。

               
  さて、今度はいつ何処で、なにを釣ろうかな。
   

     と考えながら、夢の中で、今日の釣りを反芻しているうちに、深い眠りにつく。

                                 03.8.15    田渕 稔 (記)
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* 人生の時間のうちで、釣に費やす時間は別にある。   アイザック・ウオルトン
* 魚がなんにも釣れない日は、
    魚が私に考える時間をくれたと思えばよい。      アーネスト・ヘミングウエイ
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{愚作}・・稔
* 釣は、行くと決めた時に始まり、胃袋に魚を収めて終わる。
* 嘘を笑って許しあえるのが釣り仲間である。
* 釣りの極意は、自分が魚になることである。

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                      鮎の味      (金森 直治)

              中部地方は鮎の本場。 水系により多少の前後はあるが、
         大方は六月一日 「鮎解禁」 となる。
         [稚鮎」 「若鮎」 から秋風の 「錆鮎」 「落鮎」 まで,
          さまざまな季語が用意されていて、
          数多い 「季」 の魚の中でもとりわけ季節感のこまやかな佳魚である。
              ところで、一番おいしいのはどこの鮎?
         古来いろいろな説があるが、
          例えば昭和十六年佐藤垢石が著書  「釣歳時記」 で、 
          全国一と賞賛したのは駿河は興津川の鮎。 
           しかし九州の球磨川と力説する人もあるし、
          長良川の上流こそ」最高と,譲らない人もいる。
              釣りと食通で有名だった名古屋の殿島蒼人という人は、 
         「馬瀬川もいいが根尾川上流の鮎は別格で、
           これぞ神品」 と三嘆している。
               しかし、 それもこれも昔の話、
          この国の自然はすっかり変わってしまった。
           その上、 鮎にかかわる人智はいささか暴走気味でもある。
           いつぞやも著名なグルメ評論家が、
          香り高い細身の「天然仕上げ鮎」を絶賛して,
          失笑を買ってしまった。
          さすがハイテク日本というべきか。
           これからは、
          食べ終わったらニッコリうなずくだけにしておこうと思っている。

                     梅雨の川こころ置くべき場とてなし   龍太 
 
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                            東京釣具博物館見学記 
                                                                         ( JOFI愛知会員)  宇野 総一

          東京へ仕事で行ったついでに、東京釣具博物館を見学してきた。
      入り口ドアの右側に 「釣具の歩みを後世に!」 とあり、
      続いて日本の釣り文化を語る釣具を後世に永く伝えたい旨が記されている。
       ドアを開けると、骨で作られた古代の釣り針と、
      魚の図柄の切手が出迎えてくれる。
      骨の針は白く、意外と大きなものである。
          「どうぞごゆっくり」 と奥から声がした。
      頭を下げ、パンフレットをもらって奥へ進んだ。
      入場無料なので、かえって気を使ってしまう。
          まず目に付いたのは、本物の魚をニスで固めて作った、ルアーの原型というもの。
       1930年代に作られたらしい。
       まるで鮎の甘露煮みたいだ。
       それにしても本物の魚をルアーとして使うというストレートな発想が、
       かえって斬新に感じられる。
          竹を張り合わせて作った六角竿なんてものがあった。
      六角形と言えば、ハチの巣の形状に由来し、航空機にも使われているという、
       ハニカム構造である。
       これにはコロンブスの卵を自分の頭で割ったような衝撃を受けた。ガツンと。
       その一撃から歌が生まれた。
               
 「知らなんだ、六角の竿があるなんて、自分の無知に、ちょっとハニカム」
           イカ釣り用餌木のオモリに古銭を利用したものとか、
       フィンランドの白樺の皮で包んだ石オモリなんてものもありました。
       その昔に体内にある絹糸線から本テグスを作ったという天蚕虫の標本や、
       本テグス加工用の鋼鉄製抜き板というものも。
           19世紀末頃に作られたサーモン用のフライは、
       装飾品としても十分に通用するほどカラフルで美しい。
           昭和20年代に作られたゲイシャ印の国産フライラインなるものがあり、
       イメージ像として描かれた芸者さんには風情を感じた。
           釣魚大全初版原稿を朗読するアイザックウォルトンの油絵とか、
       1839年に作成された日本最古の魚拓も、歴史を感じさせてくれる。
           玉網の編み方が紹介されていた。
       編み方の名がおもしろい。
        「ふんどし編み、へそ編み、かみかくし編み、へそ編み」 の3種類。
       まことに想像力を刺激する味わい深い名である。
       やたら横文字でネーミングする最近の釣具メーカーには見習ってもらいたい。
           展示品の中に「ハゼ釣り用豆リール」なるものがあった。
       昭和初期のもので、金森直治氏寄贈と解説されていた。
       JOFI愛知の顧問は、ここでも活躍されていた。
           機材は進歩したが、釣具に対するイメージが貧困なのは、
       むしろ現代人の方ではないのか?。
       ここの展示品を見ていると、そんな思いが沸いてくる。
           古い釣具の工夫や発想には、現在でも参考に出来るものが多くある。
      
 温故知新という言葉を胸に、ぜひ訪れてもらいたいと思う。

     
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